かつての富士山(3776㍍)には、多くの登山道があった。静岡県側の大宮口、山梨県側の吉田口、精進口などの名称が記録に残る。富士講の信者が山頂を目指す、信仰の道であった。
だが、1964年に富士スバルラインが開通すると、一足飛びに5合目に行けるようになった。すでに観光の山となっていた富士山の、古道が廃れていくのは避けられなかった。
だが、現在もいくつかの古道は存在し、実際に歩くことができる。吉田口もそのひとつだ。樹林帯をひたすら登り続ける。崖地など危険な場所はない。茶店などの廃屋がそこかしこにあり、往時をしのばせてくれる。
オダマキの花が一輪咲いていた
第一陣の26人がスタート地点となる「馬返し」に着いたのは、6月21日午前10時10分過ぎだった。
終日雨の予報だ。参加者も、私もバス車内でレインウェアを着込み、ザックカバーを装着した。
秋江ひろみ・登山ガイドが「出発前にお水を口に入れてください」と声をかけた。雨であっても登山道を登り続ければ、発汗する。水分補給は常に意識しなければならない。
同22分、馬返しを出発した。水はけがよいのか、登山道にぬかるみは目立たない。途切れることのない雨音の中、10時40分に1合目、11時28分には2合目、正午過ぎには3合目を踏破した。ゆっくりとしたペースだ。
1合目に到着。廃屋で雨宿り
秋江ガイドは「足元が滑ります。注意して」「登りがきつくなってきました。小またで歩いて」と声をかけ続けた。
3合目では、「格段に寒くなったのを感じますか」と標高による気温差に注意を促した。
午後1時40分には5合目を通過、同2時半にはバスが待つスバルライン5合目に到着した。雨の中を長時間歩けば下着まで濡れる。屋根のある場所で手早く着替えた。女性参加者は「富士山本番でも雨になるかもしれない。良い勉強になりました」と話した。
富士山頂への道を登る
6月29日には、36人が参加した。2班に分かれて、午前10時50分過ぎ、相次いで馬返しを発った。天気は薄曇りだった。
小野直子・登山ガイドは「うっそうとした(樹林帯の)雰囲気を覚えておいてください。(五合目より上の)富士山を歩いた時に、違いを思い出してくださいね」と声をかけた。「段差の小さなところを歩いてください」「(水が溜まった雨水桝に)落ちないで」と励ました。
午後1時43分、5合目を通過し、同2時半過ぎにスバルライン5合目に到達した。7月1日の開山を前にし、広場は外国人観光客らでにぎわっていた。ステップ6・硫黄岳を経て、いよいよ富士山山頂に挑戦する夏が来た。
馬返しから出発
うっそうとした樹林帯を歩く
小野ガイドを先頭に登りつめる
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日ハイキングクラブ」前会長