「♪上を向いて歩こう♪」 富士山7合目、標高2700㍍付近の山小屋「日の出館」から、にぎやかな歌声が聞こえてきた。
山小屋の従業員の皆さんによる歓迎の合唱だ。宿泊者たちも「♪涙がこぼれないように」と、手拍子とともに声を重ねた。
山小屋「日の出館」での合唱
ほほえましい交歓が行われたのは、2024年8月9日のことだ。毎日新聞旅行主催の「安心安全富士登山教室」の参加者20人が輪の中心にいた。
同教室は、登山初心者・入門者が富士山に登るために毎年開講されている。3月の高尾山(599㍍)を皮切りに、毎月山に登り、夏には富士山頂に立つことを目標にしている。
参加者は大菩薩嶺(2056㍍)、硫黄岳(2760㍍)といった名峰の頂(いただき)を踏み、鍛錬を重ねてきた。70代や小中学生もおり、世代を超えて励まし合ってきた。
翌10日午前4時40分過ぎに日の出館を出立した。山頂への道は険しい。7~9合目にかけては、荒々しい岩場を通過することになる。かつて溶岩流だった岩は冷えて固まり、人間の皮膚を切り裂きそうな突起もある。
きつい傾斜に、両手で岩をつかみ、両足で踏ん張る。先頭を歩く渡辺四季穂・登山ガイドが「顔をあげて、岩をつかんで」「足を(岩の)上に置いて、ぐっと踏み込む」とアドバイスを送った。参加者も黙々と岩に取りついていた。
吉田ルートは山小屋が軒を連ねている。20分も登れば、次の山小屋に着いてしまう。山小屋に着くたびに、渡辺ガイドは「休憩します」と声をかけた。
ザックを下ろし、「ふぅ~」と吐息をつく参加者たち。「お水をたくさん飲んでください」「息を整えて」。渡辺ガイドやスタッフは、参加者の様子を見て話しかけた。
午前8時11分過ぎ、8合目の山小屋「白雲荘」に到達した。ここは今夜の宿となる。一行は、水と行動食、貴重品以外の荷物を山小屋に預けて再度歩き出した。
斜面を白い雲が駆け上がり、人々を包み込んだ。吹く風は冷涼で、夏の暑さを忘れさせてくれる。急斜面をゆっくりと登ってゆく。
9合目に到達すると、山頂がはっきりと視界に入った。ここで最後の休憩を取った。渡辺ガイドの音頭で、童謡「ふじの山」を合唱した。
「♪頭を雲の上に出し~」。歌い終わると、「行くぞー」「山頂アタックだ」との声が沸き上がった。
そして、午前11時過ぎ、参加者はあこがれの山頂に登りつめた。「山頂だ」「やっと登れた」「やったー」。
微笑みがそれぞれの顔(かんばせ)に広がった。努力を重ねた人々の喜びを見守る富士山頂の空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。
2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日ハイキングクラブ」前会長