「さぁ、あと少しですよ。頑張りましょう」。富士山山頂を目前にして、小野直子・登山ガイドは後ろに続く人々を励ました。
ツアー参加者は、岩をつかみ、足を踏ん張り、一歩一歩急斜面を登った。
小野ガイドを先頭に歩く一行を雲が追いかける
2024年8月24日午前9時10分過ぎ、「安心安全富士登山教室」(主催・毎日新聞旅行)の一行は相次いで富士山頂に立った。「やっと富士山に登れた」。喜びと安堵の声が漏れた。小野ガイドも「おめでとうございます」と笑顔だ。
教室の参加者はほとんどが登山初心者ばかり。3月の高尾山(599㍍)を皮切りに、毎月の練習登山で技術と体力を身に付けてきた。
剣ヶ峰
山頂の様子
念願の富士山頂に立つことができた女性は「富士山はいつも眺めるだけでしたが、とうとう登ることができました。一生忘れません」と感激の面持ちだ。さらに最高峰の剣ケ峰に立ち、山頂を一周するお鉢周りをした。この間、小野ガイドは自身のスマートフォンを頻繁に見つめていた。雷雲の位置を確認していたのだ。午前11時40分過ぎ、8合目の山小屋・白雲荘を目指して下山を開始し、午後1時過ぎには到着した。小野ガイドの細やかな観測の努力もあり、雷雨にたたられることはなかった。
だが、夜になると、山小屋はけたたましい雨音とともに、稲光に包まれた。大勢の登山者が避難のために山小屋に飛び込んできた。白雲荘のスタッフは、ビニールシートを室内に敷き詰め、登山者たちを引き入れた。山小屋全体が喧騒に包まれた。雷鳴や人々の声は就寝していた私たちの耳にも届いた。
8合目のご来光
翌25日午前4時半過ぎ、雨のあがった小屋の前には大勢の登山者がたたずんでいた。ご来光を見るためだ。筆者も白雲荘の前庭におり、山頂方向を振り返った。すると、灯りが消えた山小屋が見えた。この山小屋の発電機に落雷があり、電源を喪失したという。
大きくえぐれた下山道
25日午前5時過ぎ、小野ガイドが「雨と霧に注意して下山します」と声をかけて、吉田ルートの下山道に足を踏み入れた。登山道は雨による土砂の流出で、路面が大きくえぐられていた。高低差が1㍍近い〝陥没〟もあり、これほどの崩壊を見たのは初めてだ。小野ガイドは「雨のせいで砂ぼこりが立たないのは良かった。でも、気をつけて歩きましょう」と注意喚起を怠らなかった。
下山時に虹が見えた
午前8時40分過ぎ、スバルライン5合目に無事到着した。ここからは富士山頂を仰ぎ見ることはできない。だが、それぞれの記憶には山頂の風景や鮮やかなご来光が刻まれていることだろう。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。
2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日ハイキングクラブ」前会長