「今日は(天候が)穏やかだね」。
派手なオレンジ色のウインドブレーカーとスパッツ姿の男性が、急傾斜の山道を登り続けていた。2025年1月13日午前、丹沢・塔ノ岳(1491㍍)に向かう大倉尾根でのことだ。背中には、背丈ほどの段ボール箱が括(くく)り付けられていた。重さ約30㌔のトイレットペーパーという。山頂の山小屋・尊仏山荘に運ぶ荷物だ。その姿に驚く登山者もいれば、微笑みを浮かべて見つめる人もいた。彼は「塔ノ岳のチャンプ」こと畠山良巳さん(72)だ。山小屋に荷揚げをする人々を「歩荷(ボッカ)」と呼ぶ。彼は44歳の時からボッカを始めた。登山駅伝の練習をしていた畠山さんに、尊仏山荘の関係者が「荷物を運んで来てよ」と勧めたことがきっかけだったと振り返る。以来、会社勤めの傍ら歩き続け、「1日に4回運んだこともあったよ」と語る。雪の日も雨の日も足を運び、「ボッカ登山8000回」の日を迎えた。
午前8時半過ぎ、登山口の大倉で待ち合わせをした。小型冷蔵庫ほどの段ボール箱を背負子(しょいこ)に乗せて、飄飄(ひょうひょう)と現れた。ずっしりとした荷物を軽々とかつぎ、「いやー、春を感じる。つぼみも膨らんできました」と一歩を踏み出した。
得意のVサインと笑顔のスタート
「民生委員にもなっているの」「年末年始は1日2回、登ったよ」「毎日毎日に感謝しています」と近況を語り始めた。「巳年です。年男です」「ヘビ年だけど、ヘビは嫌い。長いものはダメなの」と言葉が途切れない。
同9時5分、最初の小屋・観音茶屋で休憩した。登山者に「〇〇さん、こんにちは」「元気?」と呼びかけた。次の見晴茶屋には9時43分に到着した。「ここの山小屋をリニューアルしたの。セメント運びを手伝った」「この丸太、僕が運んだ。20年前だけど」。
道中、大勢の登山者から声をかけられ、励まされた。何度も握手を求められ、写真撮影に応じた。女性がチャンプの太ももを指し、「太もも、かっこよすぎ」と驚嘆した。
そして、午後12時20分過ぎ、チャンプは塔ノ岳の頂(いただき)に達した。「チャンプだ」「初めて会った」。居合わせた人々が喚声を上げて、スマホを向けた。畠山さんもうれしそうに両手を挙げ、山頂に笑顔の花が広がった。尊仏山荘には、色とりどりの造花と共に「畠山さん 塔ノ岳8000回登頂」の文字が掲げられていた。小屋からのお祝いだ。「ありがたいね」とほほ笑んだ。
尊仏山荘で万歳
8000回目の登頂を記した
尊仏山荘の日誌に記録
筆者の取材は4000回登山から始まり、今回で7回目となった。前回は2021年7月14日の7000回登山だ。それから3年半余りで、千回の歩みを重ねたことになる。以前畠山さんは生涯の目標として「80歳までに1万回」と話していた。今回、改めて目標をうかがうと、明言せず「70歳を過ぎて体力落ちたから」と話すのみだった。私個人としては、目標にこだわらずに末永く、健康に登山を続けてほしいと願うばかりだ。いつの日か、重い荷物を背負わずに純粋に山々の自然を楽しむ日が来てほしい。齢(よわい)を重ねた彼の横顔に接して、そう思うのは私だけではないと思う。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。
2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日ハイキングクラブ」前会長